昔から、漠然と思ってた。この家族でいられる時間はあと少しなんじゃないかって。
親父は素面でも暴力的だったけど、酒が入ると半端ない。母親はそれが怖くてずっと下向いてるし、言われるがままの奴隷みたいだった。
物心ついた時からこの状況で、父親に対する恐怖はあった。逆らえば暴力が何倍にも返ってくればあたりまえだと思うが、私はそんな父親に逆らってばかりで、学校には痣だらけの足引きずりーのしながら行ってたっけ、今思うと笑える。母親にも姉貴にも黙ってれば静かなんだからって言われて止められるけど、なんか腹がたつ。
暴力に屈するなんて自分の中では一番の屈辱だし、素直じゃない性格のせいか自分の口から言うのが嫌だったのもあるけど、痣だらけで学校に行けば先生が何かあったのかと聞いてくれるのを期待してた感もあった。まあ、無駄だったけど。
小学校の一年の時に仕事先の上司とうまくいかないとかで、酒をガンガン飲んで帰ってきた日はもう地獄だった。ビール瓶で殴るわ、包丁もって追っかけてくるわで、よく生きてたよなぁ〜て思う。
母親は、それが恐ろしくて、父親が眠っている間に私たちを連れて知り合いの家に夜逃げした。
ここから、母と私たち姉妹の夜逃げ人生が始まった気がする。
誰にも連絡しないで、知り合いの家の中だけで過ごした一ヶ月。学校には行かせたほうがいいという知り合いの配慮で学校に行った。姉貴は怖くて、学校には一度も来なかった。私も怖かったが、刺し違えてでもと思って忍ばせていたカッターナイフが背中を押してくれていた。
二ヶ月が経って、授業中にふと外見たら父親が校門の前でうろうろしてた。私は気分が悪いと言って急いで家に帰った。女の勘なのか母も逃げる準備を整えていた。知り合いの車に乗り込みその人の親戚の家にたどり着いたのは夜中だった。
母親は何度も頭を下げていたのは印象的だった。この光景を何度も見るんだろうなってことも漠然と思ってた。
どこでどう嗅ぎつけてきたのか知らないが、あっけないほど早かった。
知り合いの友人が時間稼ぎをするから、裏から逃げろ、言ってくれたのだが、母親は親父に戻っても絶対に子供に手はあげないという約束で戻ることになった。
その時、姉も私も覚悟を決めていた。この親父がわかったという顔して後で、ボコボコにすることはわかっていた。
だけど、母親が決めた決断に私たちが逆らえるはずはない。
案の定、家に帰った後の暴力は酷かった。殺されるのかなぁ〜って思うくらい激しかった。
でも気が済むと酒を飲んで寝てしまうのでその瞬間が安堵の一時だった。
小学校を卒業するまでこの鬼ごっこは数度続いた。その度に暴力は酷くなったし、父親に対する憎しみが増すにつれ、母親に対する愛情も欠けていった。学校では父親が殴りこんでくるので学校全体が私と姉には目も合わせようとしない、会話もしない。それでも、家にいるよりも心が休まるから一度だって休んだことはない。私たちにとって学校は休息の場所であって、安息の場所じゃなかったけど、学校だけが自分を取り戻せる場所だった。
姉と二人で、いつも話していた。もう少し大人になったら、あの家を出て行こう。それにはお金がいる、早起きをしてジュースの瓶をお店に持っていってお金にとり返ってもらっていた。ビール瓶は5円、ジュースの瓶は色つきが30円。色なしが10円。
自動販売機のつり銭や下を覗いたり電話ボックスのつり銭も確認したりした。一日に頑張って500円が限度だし、毎日同じだけの瓶が落ちているわけでもない。それでもコツコツと貯めていた。姉が中学生になって、お互い一人でいることが多い学校生活で姉は仮面を被った。笑顔、どんな時でも笑って、次第に友達もできたようだった。
私はほっとしていた。姉はとても無口で笑わない人だったから、すごく心配だった。私は一人でいる方が気が楽だったし、無視されるのにもいい加減慣れてもいた。でも自分では気づかなかったけど、精神的に病んでいたのかもしれない。
男子が調子にのって絡んでくることがたまにあって、その時に近くにあった鉢植えを思いっきりその男の子に向かって投げたことがある。大怪我とまではいかなかったけど、その子は怯えてたし、先生にも殴られた。皆が帰った後に私の所に来てペコペコ頭下げて、父親には言わないでくれって言ったときには笑っちゃったな。
どーして、こんな奴らばっかりなんだろうって思ってた。
それがどんな病気なのかは詳しくは知らないが、酒がよくないらしい。入院といわれていたが、父親は拒み、酒を飲み続けていた。
日増しに、体が痩せていき思い通りにならずイライラを私たちにぶつけてきた。
その度に、あれだけ飲んでいればかならず倒れて病院に担ぎ込まれる。その時がチャンスだと思っていた。
母親と姉と私と三人、最後の賭けだった。
母の友人の助言で福祉の人に相談して夜逃げ決行の計画を練っていた。
その日が来たのは、私が2年に進級してまもなくだった。いつも以上に親父は荒れていた。外で不良のバイク音が響いていて包丁を持った親父が外に出て暴れていた。戻ってきた親父がまた酒を飲み、母親がもう飲むな、と言って親父が手をあげた瞬間バタリと倒れた。母親はすぐに救急車を呼び、一緒に病院に行った。
私と姉は、急いで身の回りの物をカバンに詰め込み、福祉の人に連絡をとった。
母親が帰ってきたのは1時間もしないうちだった。外は暗くて、静かだった。タクシーを近くのコンビニの前に止めてあるからそこまで来てくれということだったので、三人で荷物を抱えて家を出た。
階段を降りたところで、姉と私は同時に声をあげていた。家と反対側の道路の向こうにタクシーが止まっている、あれは福祉の人が用意してくれたものではない、だとしたら・・・・。三人とも一斉に逆方向にダッシュしていた。
何とか無事にタクシーに乗り込むことができた。
福祉の人の手配でホテルに泊まり、次の指示を待っていた。
その日の夜は不安と期待がごちゃ混ぜになって眠れなかった。姉も母もそうだったようで無言のまま眠れずに朝を迎えた。長い夜だった。
次の日に福祉の人がホテルに来て、母親となにやら話していた。
遠目から見ても顔色が変わったのがわかる、やっぱり昨日のタクシーは父親が乗っていた。
本当に間一髪だったらしい。相変わらず勘だけは鋭い親父だ。だけど、こっちもこれが最後の賭けだったし、捕まったら今度は逃げる気力もなくなって、後は自滅するだけだ。
母親と福祉の人が戻ってきて、すぐにタクシーに乗り込んだ。行き先はそういう人間が集まる施設らしい。暴力を受けて逃げている人たちのための施設。
タクシーの中で今までの過去が思い出された。わけもなく涙が止まらなかった。
自分ではどうってことないと思っていたはずなのに、本当は辛かったんだって泣きながら客観的に自分を見ていた。
施設の前で、福祉の人が私たちに三つ守ってほしいことがあると言った。
子供はあまり受け入れられていないから、大人しくすること。
外には出歩かないこと。
居られるのは二週間だけで、その間に住む場所と働く場所を見つけて出て行くこと。
厳しい条件だったけど、拒否できる立場にはない。母親は承諾し、私たちの短い施設での暮らしが始まった。
私たちが施設の管理人に通されたのは三階の右から三番目の部屋。鍵をもらって入ったら以外に広い。六畳はあったと思う、寝るだけなんだから十分なスペースだ。
母親は荷物を置いてすぐに挨拶に行った。私と姉は無言で窓から見える景色を眺めていた。
「これからどうなるんだろうね」
姉が独り言のように呟いた。私にもわからない、ただ闇雲に逃げてきただけ。その先のことなんて全然想像もしてなかった。
本当にどうなるんだろう?
いろいろ考えて見たけど、納得のいく答えが見つからなくて結局投げ出した。考えてもどーにもならないし、思った通りに物事は運ばない。でもここまで来るまでに腹を括ったんだから、後は前に進むだけ。
それなのに不安でたまらなかったのは、私が心のどこかで後悔していたからなのかもしれない。
母親が戻ってきてすぐに食事の時間となった。